大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)11724号 判決 1989年9月29日

原告

林貞孝

被告

伸製作所こと信太伸一

主文

一  被告は、原告に対し、金五五九万八四八八円及び内金五〇九万八四八八円に対する昭和五七年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁決

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二四三六万三〇〇四円及び内金二二三六万三〇〇四円に対する昭和五七年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五七年七月二六日午後九時五〇分ころ

(二) 場所 東大阪市衣摺一丁目一〇番一六号先府道大阪八尾線路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(登録番号 奈四四の九八七三)

右運転者 辺英司

(四) 被害者 原告

(五) 態様 原告が、前記場所(交差点)の横断歩道上を青信号に従つて、東から西に横断していたところ、横断し終わる直前に西から南へ右折してきた加害車両に衝突され、跳ね飛ばされた(以下、「本件事故」という。)。

2  被告の責任

被告は、加害車両を保有し、これを自己のために連行の用に供していたから、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)第三条に基づき、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害

(1) 原告は、本件事故により、右第三肋骨骨折、頭部打撲及び全身打撲の傷害を受け、次のとおり治療を受けた。

ア 生和病院

<1> 昭和五七年七月二六日から同年一〇月二二日まで入院(八九日間)

<2> 昭和五七年一〇月二三日から同五九年三月一二日まで通院(通院実日数二六二日)

イ 共和病院

昭和五九年三月一三日から平成元年三月二五日まで通院(昭和六一年九月五日までの通院実日数三五八日)

(2) 原告は、前記の治療を受けたが、昭和六〇年三月一四日、肋間神経痛による胸背部痛並びに頸椎捻挫後遺症兼後頸部交感神経症侯群による後頸部痛、頭痛、頭重感、視力低下、難聴及びめまいの後遺障害を残して症状が固定した。

なお、右後遺障害については、自動車損害賠償責任保険(以下、「自賠責保険」という。)の査定で自賠法施行令二条別表後遺障害等級表の併合一二級(肋間神経痛が同一二級一二号、頸椎捻挫が同一四級一〇号に各該当)に該当する旨の認定がなされているが、原告の後遺障害は実質は同一〇級に相当する重篤なものである。

(二) 損害額

(1) 治療費 一七万一七六〇円

共和病院における昭和五九年三月一三日から同六二年六月三〇日までの治療費(自己負担分)として右金額を要した。

(2) 入院雑費 八万九〇〇〇円

生和病院入院中の八九日間に一日当たり一〇〇〇円を下らない雑費を要した。

(3) 通院交通費 二二万五一二〇円

前記生和病院への二六二日の通院に一日当たり三四〇円、共和病院への三五八日の通院に一日当たり三八〇円の各バス代を要した。

(4) 休業損害 五九六万八四八四円

原告は、昭和六年三月五日生の女性で、本件事故当時、家業の養豚業に従事していたものであるところ、前記受傷により、昭和五七年七月二六日から同六〇年三月一四日まで就業できなかつたので、その間に少なくとも昭和五七年及び同五八年中の休業については右各年度の、同五九年及び同六〇年中の休業については同五九年度の各賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計の五〇歳から五四歳までの女子労働者の平均給与額相当の損害を被つたものというべきである。

(算式)

2,206,400円÷365×159=961,144円

2,233,900円×1=2,233,900円

2,311,200円÷365×(365+73)=2,773,440円

961,144円+2,233,900円+2,773,440円=5,968,484円

(5) 逸失利益 一二〇二万八六四〇円

原告には前記のとおりの後遺障害があるところ、このうちの胸背部痛は、化骨化した肋骨骨折部が周辺の神経を刺激しているか若しくは化骨部に神経が巻き込まれているかのいずれか又はその双方が原因となつて生じているものであるから、疼痛が将来消失するようなことは期待できず、一生継続するものといわざるを得ないところ、かかる疼痛が継続すれば当然就労は困難であり、現在、原告は家業である養豚業の手伝いはもちろん、家事さえも十分に処理することができない状態にある。従つて、原告は、前記後遺障害により、就労可能期間を通じて労働能力の五〇パーセントを喪失したものというべきである。

そこで、昭和五九年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計の五〇歳から五四歳までの女子労働者の平均給与額二三一万一二〇〇円を算定の基礎とし、就労可能期間を一四年として、ホフマン式計算方法により、年五分の割合による中間利息を控除して同人の逸失利益の現価を計算すると、次のとおり一二〇二万八六四〇円となる。

(算式)

2,311,200円×0.5×10.409=12,028,640円

(6) 傷害慰謝料 二〇〇万円

前記入・通院日数に照らせば、右金額が相当である。

(7) 後遺症慰謝料 一八八万円

(8) 弁護士費用 二〇〇万円

よつて、原告は、被告に対し、本件事故による損害賠償として、二四三六万三〇〇四円及び右金員のうち弁護士費用を除く二二三六万三〇〇四円に対する本件事故の日である昭和五七年七月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2は認める。

2  同3(一)(1)については、冒頭の受傷内容、アの生和病院への入・通院期間及びイのうち、昭和五九年三月一三日から共和病院に通院していることは認めるが、右各病院への通院実日数は、不知。同(2)については、原告の後遺障害に対して、自賠責保険で主張のとおりの認定がなされていることは認めるが、その余の事実は否認する。

自賠責保険の右認定は、原告の次男で、本訴提起前に本件の示談交渉も担当し、医師としての客観的な立場にあるとはいえない大阪大学医学部の梁視訓医師の作成した意見書をその事情を知らないまま資料に供して、当初認定の一四級一〇号を変更する再認定としてなされたものであるが、右意見書は到底措信し得ないものであり、これを除外して認定すれば、原告の後遺障害は非該当若しくはせいぜい一四級一〇号に該当するのにすぎないものである。また、症状固定の時期についても、原告は国立神戸病院の片岡浩医師作成の後遺障害診断書を根拠として症状固定日を昭和六〇年三月一四日と主張しているが、同医師は診察のみで何らの治療も行つていないのであるから、診察の時点で存在している後遺障害を確認したものにすぎず、従つて、同診断書の症状固定日昭和六〇年三月一四日という記載は、この時点ではすでに症状が固定しているということを意味しているのみであつて、この日に初めて症状が固定したことを証明しているものではない。原告の後遺障害については、右時点よりも早い昭和五八年一〇月三一日に生和病院で、同五九年五月一日には共和病院でそれぞれ症状が固定したものと診断されているが、原告に対する整形外科的治療は昭和五八年夏ころから既にその効果があがらなくなつており、原告の症状は、その時点で既に治療するしないの如何にかかわらずよくなることも悪くなることもないという状況にあつたのであるから、原告の症状固定時期は遅くとも昭和五八年八月三一日とすべきであり、その後の治療は、既に症状が固定した後遺障害に対する治療にすぎないものである。

3  同3(二)について

(一) (1)は不知。支払つたとしても、症状固定後の治療費であるから、本件事故とは相当因果関係がない。

(二) (2)は不知。

(三) (3)のうち、生和病院及び共和病院へ通院するために要するバス代が原告主張のとおりであることは認めるが、その余の事実は不知。原告主張のとおりの交通費を支払つたとしても本件事故と相当因果関係のある損害といえるのは、症状固定日である昭和五八年八月三一日までの生和病院への交通費のみである。

(四) (4)は不知。

(五) (5)は争う。

原告の労働内容は家事一般の域をでないものであり、共和病院の医師は原告に対して家事労働には積極的に従事するように指導しているのであるから、原告には労働能力の喪失はないというべきであり、仮に何らかの労働能力の喪失があるとしても、その継続期間は長くて二年である。

(六) (6)ないし(8)は争う。

三  抗弁

1  既存障害及び心因的要因による減額

仮に原告の症状固定日が、昭和五八年八月三一日以降であるとすれば、それは原告の既存障害及び心因的要因によつて症状が加重されたことによるものであるから、そのために拡大した損害については、既存障害及び心因的要因による減額がなされるべきである。すなわち、原告には、経年性もしくは生来的なものとして、第五、第六頸椎間狭少、骨粗鬆症及び退行変化が認められるところ、これらは頸腕痛、背痛、腰痛の原因になるとされており、原告の愁訴が長期間継続したのは、右の要因によるものである。また、原告は症状固定とすることに強い抵抗を示すなど、原告の症状には、いわゆる心因的要因による加重傾向が認められる。このような原告の既存傷害及び心因的要因により損害が拡大した部分は、原告に生じた総損害の二割を下らないから、過失相殺の法理を類推して、右割合の減額がなされるべきである。

2  損益相殺

原告に対しては、被告が内払金として一〇五万円を支払つており、また自賠責保険から後遺障害分として二〇九万円が支払われているので、その合計三一四万円が原告の損害額から控除されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は否認する。

原告には、レントゲン写真上、経年性の変化が僅かに認められるが、レントゲン写真上の退行性変化は健康人の半数以上に認められる加齢による正常な生理的過程であつて、レントゲン写真上退行変化が認められても治療の対象にならないことが多く、現に本件受傷前には、原告には何らの症状もなかつたのであるから、原告の症状と頸部の退行変化とは無関係であり、また、心因による影響も存在しない。

2  同2の事実は認める。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  本件事故の発生及び責任原因

請求原因1及び2は当事者間に争いがない。

二  原告の受傷内容、治療経過及び後遺障害

1  原告が、本件事故により、右第三肋骨骨折、頭部打撲及び全身打撲の傷害を受け、昭和五七年七月二六日から同年一〇月二二日まで八九日間生和病院に入院し、同病院退院後、昭和五七年一〇月二三日から同五九年三月一二日まで同病院に通院し、昭和五九年三月一三日からは共和病院に通院していることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三ないし第一三号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、生和病院の前記通院期間中の実通院日数は二六二日であり、共和病院には昭和六一年九月五日までの間に実通院日数として三五八日の通院をしていることが認められる。

そして、右事実に、前掲甲第三ないし第一三号証、いずれも成立に争いのない甲第二号証、第一四号証、乙第一、第二号証、第四ないし第七号証、第一一、第一二号証、第一四号証、証人梁貴容及び同兪順奉の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  原告は、本件受傷直後の生和病院における初診時、右背部から右胸部にかけての疼痛並びに右上肢及び右頬部の疼痛を主に訴えており、また胸部及び頭部のレントゲン検査の結果、右第三肋骨の骨折を認めたので、同病院医師は、右第三肋骨骨折、頭部打撲、全身打撲の診断をし、肋骨骨折からくる呼吸困難が認められ、気肺を併発する恐れもあつたので、原告を入院させて臥床安静、胸郭固定バンドによる固定、注射及び胸背部に対する湿布等の治療を施し、次いで昭和五七年八月二七日からは、骨折部の化骨化促進のため、マイクロトロン温熱療法によるリハビリテーシヨンを開始し、これらの治療の結果、右骨折部は同年一〇月一日に癒合した(但し、癒合部にずれのある変形治療となつている。)ものと診断された。

なお、原告は、前記のとおり頭部打撲と診断され、同病院入院中から頭痛及び頭重感を訴えていたが(但し、この訴えが記録されているのは看護日誌のみである。)主たる訴えが胸背部痛であり、これらの疼痛に対して投与される薬剤は頭痛及び頭重感に対しても効果があることもあつて、頭痛及び頭重感のみを対象とした治療は施されておらず、これらの症状に着目した診断名は付されていない。

(二)  原告は、生和病院退院後も引き続き同病院に通院して、注射、胸背部に対する湿布及び温熱療法によるリハビリテーシヨン等の治療を受け、その間、同病院の梁貴容医師により、昭和五八年一〇月三一日付けで右肋間神経痛の後遺障害(他覚的には右第三肋骨の変形治癒像が認められる。)を残して症状が固定したとの診断がなされているが、右症状固定の診断後も引き続き同病院に通院していた。

(三)  しかし、右通院にもかかわらず、背部痛、頭重感等の症状の改善がなかつたため、原告は、昭和五九年三月一三日、生和病院の紹介により共和病院に転医し、同病院における初診時には、胸部痛、頭痛、頭重感があるほか、咳が多く、頸を強く動かしたりすると一瞬何も見えなくなることがあるなどと訴えている。右訴えに加えて同病院で実施したレントゲン検査の結果、原告には第五、第六頸椎間の狭少及び骨粗鬆症が認められたため、同病院では胸背部痛に対する治療と合わせて頸椎に対する牽引及び温熱療法等頸部の症状に対する治療も施されるようになつた。原告は、同病院転医後も頻繁に同病院に通院し、胸背部痛とともに頭痛、項部痛及び頸部痛等の症状を訴えて、投薬、理学療法等の治療を受け、その間、昭和五九年五月一日には、同病院の金英一医師により、右胸部痛、頭痛及び頭重感の後遺障害を残して、同日、その症状が固定したとの診断を受けたが、その後も引き続き頻繁に同病院に通院し、前記のような治療を受けるほか、時には頸部に対する治療としての神経ブロツク療法をも受けており、同病院に対する通院は、徐徐に通院の間隔が長くなり、昭和六三年一二月から平成元年二月までの間には二か月間ほど中断したこともあるが、平成元年三月現在なお継続中である。

(四)  原告は、共和病院通院中の昭和六〇年一月二九日及び同年三月一四日の両日にわたり国立神戸病院に通院して、同病院の片岡治医師により、同年三月一四日付けで他覚的所見としての頸椎後屈痛及び局所の圧痛が認められるほか、神経学的所見やレントゲン検査上の外傷起因の異常所見は認められないが、後頸部痛、胸部絞扼感、難聴、めまい、視力低下、頭痛等の自覚症状のある後遺障害が残つており、その傷病名は頸椎捻挫後遺症兼後頸部交感神経症候群で、症状固定日は同日である旨の診断を受けている。なお、原告は、同病院では診察を受けただけで、治療は受けていない。

(五)  現在の原告の症状としては、随時胸背部痛(原告は、本人尋問において、現在は痛みが胸までこなくなつていると述べているが、これは同一場所に生ずる痛みが治療により減少し、感じ方に差異が生じてきたものと考えられる。)が生ずるほか、頭重感及び長時間歩いたとき等に頭痛が生ずることがあるが、後頸部痛、胸部絞扼感及びめまいは、消失又は相当程度軽減してる。

以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の各事実によれば、本件受傷により、原告には肋骨骨折に起因する胸背部痛並びに頭部打撲ないし頸部捻挫に起因する後頸部痛、頭痛、頭重感、めまい等の症状が頑固に継続し、右症状のうち後頸部痛及びめまい等の症状は治療によつて軽快又は消失したが、随時発生する背部痛、頭重感、長時間歩行したとき等に生ずる頭痛はなお残存しており、右症状は既に固定しているものと認められる。

なお、原告は、本件受傷により視力低下及び難聴の後遺障害も残つている旨主張するが、原告本人尋問の結果によつても、これらの症状の発症の時期が明らかでなく、視力低下については、眼鏡を必要とするようになつたと述べているだけであり、難聴については、かえつて耳鼻科医師により異常がない旨の診断を受けていることがうかがわれるうえ、本件受傷との因果関係を認めるに足りる証拠も存在しない。

2  次に、原告の後遺障害の症状固定時期について検討するのに、この点につき、被告は、昭和五八年八月三一日ころと主張し、原告に対しては、生和病院入院中の昭和五七年八月二七日からリハビリテーシヨンが開始され、昭和五七年一〇月二二日の退院後も同様のリハビリテーシヨンが続けられていることは前認定のとおりであり、また、前認定の治療経過によれば、注射及び湿布等の治療にも顕著な効果は認められなかつたといわざるを得ず、更に、証人梁貴容の証言中には、事故からおよそ一年後の昭和五八年の夏ころには、整形外科的な治療をしても治療効果を望めない状態になつていたとの供述部分がある。

しかし、前認定の事実に前掲甲第三ないし第一一号証、乙第一、第二号証及び証人梁貴容の証言を総合すれば、生和病院入・通院中の原告の症状及び主訴は、圧倒的に肋骨骨折のそれが大きく、従つて、同病院における治療も肋骨骨折を主たる対象とし、同時に全身打撲及び頭部打撲ないし頭部外傷第Ⅱ型に対しても効果のある治療がなされているだけであつて、頸部捻挫等の頸部の受傷を考慮した治療はなされていない(頸椎についてはレントゲン写真すら撮られていない。)こと、同病院の梁貴容医師(証人梁貴容)の作成した昭和五八年一〇月三一日を症状固定日とする診断書には、後遺障害の傷病名としては肋間神経病を掲げているのみであることがそれぞれ認められ、これらの事実によれば、生和病院においては、最も重い症状(肋骨々折)の治療のために、相対的にみると軽症であつた頸部の症状が見過ごされていたものと推認される、そして、昭和五九年三月一三日に共和病院に転医したのち、始めて頸部のレントゲン検査及び頸椎の牽引等の頸部に対する診療が開始されたことは前認定のとおりであり、更に前掲乙第一二号証及び同第一四号証によれば、診断書上で原告の頸部の症状に着目した診断がなされているのは、共和病院の金英一医師作成の昭和五九年五月一日付け診断書において、外傷性頸部症候群という傷病名が付されているのが初めてであること、共和病院においては診療録中にも頭痛の訴えが頻繁に記録されていることがそれぞれ認められ、以上の各事実によれば、原告が生和病院から共和病院に転医した昭和五九年三月一三日の時点においては、原告の症状はなお固定するには至つておらず、少なくとも外傷性頸部症候群等の頸部の症状に対しては治療継続の必要があつたものと認められる。

ところで、原告は昭和六〇年三月一四日が症状固定日である旨主張し、国立神戸病院の片岡治医師が原告の症状固定日は昭和六〇年三月一四日であると診断していること、及び原告が平成元年三月に至るまで、胸背部痛、頭痛等の症状を訴えて通院を継続していることは前認定のとおりである。

しかしながら、症状固定の診断をするためには、その性質上相当期間の治療の継続とその間の症状の経過の観察が必要であると考えられるところ、片岡医師は昭和六〇年一月二九日及び同年三月一四日の二回にわたる診察をしただけであつて、原告を治療していない(なお、同医師は、原告の症状を頸椎捻挫後遺症兼後頸部交感神経症候群と診断しているが、成立に争いのない甲第一九号証によれば、後頸部交感神経症候群は、外傷性頸部症候群の慢性難治期にみられる症状の一つであることが認められるから、片岡医師は、後記共和病院の金英一医師の診断と異る診断をしたのではなく、より正確な傷病名の確定をしたのにすぎないと考えられ、また、片岡医師は、右症状固定日の時点で原告に視力低下及び難聴の自覚症状がある旨の診断をしているが、これらの症状については、その発症時期が明確でないうえ、本件受傷との因果関係を認めるに足りる証拠のないことは前記のとおりである。)ことは前認定のとおりであるから、片岡医師の症状固定日についての右診断結果をにわかに採用することはできず、更に、前掲乙第一四号証及び証人兪順奉の証言によれば、共和病院の兪順奉医師(右同証人)が、原告に対する診療を担当するようになつた昭和五九年一一月ころから、原告の前記症状は、すでに治療するしないの如何にかかわらずよくなることも悪くなることもなかつたこと、しかし、その後も原告がリハビリテーシヨンを受けると症状が楽になるといつて、治療の継続を希望するので、共和病院では、これを容れて治療を継続していたのにすぎないことが認められるので、原告が背部痛、頭痛等の症状を訴えて通院を継続しているという事実も、原告の症状固定日がその主張のとおり昭和六〇年三月一四日であると認めさせるには不十分であるというべきである。

結局、以上認定、説示したところに前記1で認定した治療経過、ことに共和病院において、原告の治療を担当し、原告の頭部及び頸部の症状を外傷性頸部症侯群と診断したうえで、胸部痛に対する治療と共に頸椎の牽引及び温熱療法といつた頸部に対する治療を施しながら、一か月半余にわたつて原告の症状の経過を観察した同病院の金英一医師が原告の傷害は右胸部痛、頭痛及び頭重感の後遺障害を残して症状が固定し、その症状固定日は昭和五九年五月一日であると診断している点を考慮すると、原告の症状固定日を同日と認めるほかはなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  損害金

そこで、二で認定した事実を前提に損害額について検討する。

1  治療費 八七五五円

成立に争いのない甲第一六号証によれば、原告は昭和五九年三月一三日から昭和六二年六月三〇日まで共和病院に通院し(前掲甲第一三号証及び第一四号証によれば、その間の通院実日数は四一二日と認められる。)、治療費として一七万一七六〇円を共和病院に支払つたことが認められる。

しかしながら、原告の本件事故による傷害は前認定のような後遺障害を残して昭和五九年五月一日に症状が固定していることは前認定のとおりであり、それ以降の治療に症状軽減等の効果が特にあつたと認めうるような証拠は存在しないので、右治療費のうち、昭和五九年三月一三日から昭和五九年五月一日までに要した費用であると認められる八七五五円(前掲乙第一四号証によれば、その間の通院実日数は二一日であり、また、共和病院における治療は前記の全通院期間を通じてほぼ同じような治療が続けられていたことが認められるので、症状固定の前後の実通院日数によつて案分した。)のみが本件事故と相当因果関係のある損害であり、その余については、本件事故と相当因果関係のない損害であるというべきである。

2  入院雑費 八万九〇〇〇円

前認定の原告の受傷内容、治療経過によれば、原告は八九日間の入院期間中に、一日当たり一〇〇〇円、合計八万九〇〇〇円を下らない雑費を要したものと推認することができる。

3  通院交通費 九万七〇六〇円

前記1で述べたと同一の理由により、前認定の原告の入・通院治療のうち、昭和五九年五月一日までの分のみが本件事故と相当因果関係のある治療というべきであるところ、同日までの原告の生和病院への実通院日数が二六二日、共和病院への実通院日数が二一日であることは前認定のとおりであり、原告が通院に要したバス代が、生和病院につき三四〇円、共和病院につき三八〇円であることは当事者間に争いがないので、本件事故と相当因果関係のある通院交通費は、右のバス代と通院実日数を乗じた額の合計額である九万七〇六〇円となる。

4  休業損害 二五〇万二〇七八円

前認定の原告の受傷内容及び治療経過に成立に争いのない甲第一五号証及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は、本件事故当時、五一歳の健康な女子で、家事に従事していたほか、原告の夫と長男が岡山で営んでいる養豚業の手伝いもしていたものであるが、本件受傷による入・通院並びに胸背部痛及び頭痛等のために症状固定日である昭和五九年五月一日までの間、全日又は少なくとも一日のうちの一部の休業を余儀なくされたものと認められるところ、原告の症状が通院治療を続ける間に徐徐にではあつても軽快してきたことは、前認定のとおりであり、また、前掲乙第一号証及び同第一四号証によれば、原告の通院の頻度は症状固定までの間においても徐徐に少なくなつていることが認められ、更に、証人兪順奉の証言によれば、原告のような症状の場合は、急性期を過ぎて症状が安定したのちは、家事労働のような軽作業には積極的に従事したほうがよいことがうかがわれ、これらの点に前認定の治療経過を考え合わせると、本件受傷により、前記期間の当初のほぼ三分の一に相当する本件事故発生日の翌日の昭和五七年七月二七日から同五八年二月二八日までは一〇〇パーセントの、その後のほぼ三分の一に相当する昭和五八年三月一日から同年九月三〇日までは六〇パーセントの、残余の期間である同年一〇月一日から昭和五九年五月一日までは三〇パーセントの各休業を余儀なくされ、各休業に対応する年度の賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の五〇ないし五四歳の女子労働者の平均年収額を算定の基礎として算出した二五〇万二〇七八円の休業損害を被つたものと認めるのが相当である。

(算式)

2,206,400円÷365×158+2,233,900円÷365×59=1,316,195円

2,233,900円÷365×214×0.6=785,843円

2,233,900円÷365×92×0.3+2,311,200円÷366×122×0.3=400,040円

1,316,195円+785,843円+400,040円=2,502,078円

5 後遺障害による逸失利益 二四四万一五九五円

本件受傷のために長期にわたる治療にもかかわらず原告に後遺障害が残つたこと、並びにその内容及び程度は前認定のとおりであるところ、前掲乙第一号証、同第一四号証、証人梁貴容及び同兪順奉の各証言によれば、原告の胸背部痛は、肋骨骨折部が癒合した際に癒合部にずれが生じ、これによる肋骨の変形部分が肋骨の直近を平行して通つている肋間神経を圧迫しているか、又は骨折の癒合の際に生ずる化骨部や骨折の際に損傷された肋骨に近接する軟部組織が治癒する際に生ずる瘢痕組織が肋間神経を巻き込んでいるために生じている可能性が大であり、このような原因で生じた疼痛は相当長期化することが多いことが認められる。しかし、その他の原告の神経症状については、将来年月の経過とともに消失する可能性も大であると考えられ、また、胸背部痛についても、前認定のとおり治療(リハビリテーシヨン)を続けることにより。わずかではあつても軽快してきていたことからすると、胸背部痛が将来改善される可能性を否定することもできない。更に、原告は、本件事故当時、五一歳の健康な女子で、家事労働に従事するほか夫及び長男が岡山県で経営している養豚業の手伝もしていたことは前認定のとおりであるが、原告本人尋問の結果によれば、他の子供達が居住している大阪にも度度出てきて、かなりの期間にわたり滞在していたことが認められ、この事実からすると、原告が養豚業を手伝つていたとしても、それは多分に予備的なものであつて、重労働になることもある養豚業に従事するのを常態としていたものとは考えられず、これらの点を考慮すると、原告は、その症状固定後の就労可能期間一四年のうち、最初の七年間については平均してその労働能力の一四パーセントを、それ以降については平均してその労働能力の七パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。

以上の事実によれば、原告は、本件事故による後遺障害のために昭和五九年賃金センサス第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の五〇ないし五四歳女子労働者の平均給与額二三一万一二〇〇円を基礎とし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算出した本件事故当時の現価である二四四万一五九五円の得べかりし利益の喪失による損害を被つたものと認められる。

(算式)

2,311,200円×0.14×(7,2782-1,8614)=1,752,703円

2,311,200円×0.07×(11,5363-7,2782)=688,892円

1,752,703円+688,892円=2,441,595円

6 慰謝料 三一〇万円

前認定の原告の受傷内容、治療経過、後遺障害の内容及び程度、その他本件証拠上認めらる諸般の事情を考慮すれば、本件事故によつて原告が受けた精神的、肉体的苦痛に対する慰謝料としては、三一〇万円が相当であると認められる。

四  抗弁について

1  被告は、原告に経年性若しくは生来的な既存傷害として、第五、第六頸椎間狭少及び骨粗鬆症が認められ、これが原告の症状を長期化させ、更に、原告の症状にはいわゆる心因性による加重傾向も認めれらるので、これらの要因によつて拡大した損害について減額がなされるべきである旨主張するが、原告に第五、第六頸椎間の狭少及び骨粗鬆症が発見されたのは、本件受傷後二〇か月以上を経過した昭和五九年三月一三日のレントゲン検査によつてであることは前認定のとおりであつて、これらが本件受傷前から存在していたことを認めるに足りる証拠はないうえ、前掲甲第一九号証、成立に争いのない甲第二二号証及び証人兪順奉の証言によれば、頸椎の退行性変化と外傷性頸部症侯群ないし後頸部交感神経症侯群との関係は必ずしも明確に認められているわけではなく、また、レントゲン検査上、退行性変化は、五〇歳以上の健康人の半数以上に認められ、ある意味では加齢による正常な生理的過程とみなすこともできるものであつて、治療の対象にもならないことが多く、ことに骨粗鬆症は骨のカルシユウムの脱失であり、それ自体が疼痛の原因にはなり得ないことが認められ、これら事実に照らすと、原告の症状が既存の障害によつて加重されたものとして、過失相殺の法理を準用して損害の減額をすべき場合に当たるものと認めるには不十分であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、いわゆる心因性減額の主張についても、前掲乙第五、第六号証中には原告の右主張に副うかのような記載部分があるが、前認定のとおり、片岡医師の診断は、事故後二年半ほども経過し、症状が固定したのちのものであるから、右記載は症状固定前に原告にいわゆる心因性による加重傾向があつたことを認めるための的確な証拠であるとは認め難い。

なお、前認定のとおり原告が症状固定後も長く通院を継続していることは、原告が痛みに対する忍耐力の弱いことをうかがわせるものであるとしても、心因的要因による減額をするを相当とするほどの心因反応による症状の加重があつたものと認めるには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

五  損益相殺

抗弁2の事実は当事者間に争いがない。

よつて、前記損害の合計額から右争いのない填補額三一四万円を控除すると、残額は五〇九万八四八八円となる。

六  弁護士費用 五〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告は原告訴訟代理人に本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の費用及び報酬を支払い、又は支払の約束をしているものと認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は五〇万円と認めるのが相当である。

七  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し、五五九万八四八八円及び内金五〇九万八四八八円に対する不法行為の日である昭和五七年七月二六日から支払い済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 二本松利忠 永谷典雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例